著者:松島雄一 発行日:2019/10/20 ページ数:256頁 判型:新書判 ISBN:978-4-907486-95-2 出版:ヨベル 正教のある聖師父(ニコラス・カバシラス)が「狂おしいほどの愛」と表現した愛、その愛の熱さへの立ち帰り だからこそ、「悔い改め」は私たちにとって救いなのです。 ビザンティンの神学者カバシラス(Nicholas Cabasilas, 1322~1392 写真)は、神の渇きを「狂おしいほどの愛(マニコス・エロス)」と表現しました。私たちはその愛に応えなければなりません。手をさしのべ、キリストがご自身のお体と血によって与えてくれる、尽きることのない水を、神の息吹きとともに飲みほし、この神の愛の渇きを癒してさし上げなければなりません。 目次 第一部 礼拝説教から 第1 話 平凡を生きる―空白の三十年 降誕祭に 第2 話 天が開けて―ヨルダン川での神テオファニイ現 神現祭に 第3 話 光栄から光栄へと―変容の分かち合い 主の変容祭に 第4 話 生神女マリヤ―神に申し出られた女 生神女マリヤの祭日に 第5 話 十字架―苦しみを受け葬られ 十字架の祭日に 第6 話 「急いで降りておいで」―見たいというのぞみ 第7 話 まことの痛悔―砕くのではなく、砕かれる 第8 話 放蕩息子のたとえ話―真の主人公はだれ? 第9 話 最後の審判で―愛さない者は死んでいる 第10 話 ひとりでは救われません―人々のあやまちをゆるすなら… 第11 話 これよりもっと大きなこと―驚きでしか受け止められないもの 第12 話 彼らの信仰を見て―まことに、まことに「あっぱれ」 第13 話 笑われましょう―イエスの死、いのちの始まり 第14 話 信じます、不信仰なわたしを―知っている、この気持ちなら 第15 話 仕えられるためではなく、仕えるため 第16 話 結末はいったん忘れて 聖枝祭に 第17 話 主の喜びに入れ 復活大祭に 第18 話 わが主よ、わが神よ トマスの主日に 第19 話 どのように主を愛するのか 携香女の主日に 第20 話 どうせ、わたしは 癱者の主日に 第21 話 互いに水を求めて サマリヤ婦の主日に 第22 話 まだ見えていないもの 瞽者の主日に 第23話 「 永遠のいのち」とは 諸聖霊父の主日に 第24 話 「待っていなさい」 昇天祭から五旬祭に 第25 話 わたしにふさわしくない 衆聖人の主日に 第26 話 普通の人だからこそ―弟子の召命 第27 話 「普通」に泣く―「普通」がもたらしているもの 第28 話 出て行ってくれ 第29 話 彼らの目にさわって―なぜ? 第30 話 「これだけしか」から「こんなにも」へ−パン五つと魚二匹 第31 話 わたしだ−いつもあなたがたとともに 第32 話 怒りの連鎖から、愛の連鎖へ 第33 話 知らないからです−婚宴のたとえ 第34 話 怠け者め−タラントは「タレント」? 第35 話 「自己表現」の逆説−さらに「タレントについて 第36 話 ちょっと意地悪−境を越えて 第37 話 甘く愛しい子よ 第38 話 わたしの隣人とは誰のこと−善きサマリア人 第39 話 「愚か者よ」−でも、ほんとに愚か? 第40 話 女が最初に見たものは 第41 話 誰かがさわった−知っているのになぜイエスは 第42 話 見えるようになりたい 第43 話 砕かれてはじめて−空っぽの器となって 第二部 「教会」理解の鍵 講演から、雑誌寄稿エッセーから 第44 話 生神女マリヤ−正教の理解 第45 話 祈りに興じる−至聖三者修道院滞在記 第46 話 「驚き」の回復のために 第47 話 正教の礼拝 受難週 資料集 メッセージ集神の狂おしいほどの愛 型番 9784907486952 ポイント 132pt 販売価格 1,320円 購入数 shopping_cartカートに入れる mail_outline この商品についてお問い合わせ ツイート error_outline 特定商取引法に基づく表記 (返品など) share この商品を友達に教える undo 買い物を続ける forum レビューを見る(0件) rate_review レビューを投稿